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2015年11月17日火曜日

モンゴルからニューファンドランド島に渡り、なんだかんだで長野市にたどり着き、2012年に上田市に連れてこられたヤツの現在の様子。

訃報に触れるといろいろ考えることがあります。

阿藤快さん死因は大動脈破裂…苦しんだ様子なく 69歳
 阿藤さんは、一部で報じられたように、15日に自宅で亡くなっているところを事務所関係者などによって発見された。苦しんだ様子はなく、眠っているようであったという。
こういう死に方は楽でいいなぁと思います。
まあ、死後の後片付けで少し面倒は掛けるでしょうけど、
苦しむことなく、看病とかで長く誰かの手を煩わすことも
なく逝くということは、独り暮らしの私にとっては理想です。

でも実際問題、私にはこういう死に方は絶対にできません。
未明に静かに眠るように死ねたとしても、
うちには午前5時には起きて、一緒に散歩に行くのを
ワクワク待っている黒い生きものがいるわけです。

午前5時30分頃にはいつも上田市内の街角にいたい
黒いウォーキング愛好家がいるわけです。

午前6時10分過ぎには会社に出勤していたい
黒い専務取締役がいるわけです。

そんな彼を置いて、安らかに死ねるわけがありません。
とりあえず朝の散歩して会社の2階の庭に解き放ってから
死ぬことにしないと。
彼を自宅のケージに残したままじゃ、あたしゃ
死んでも死に切れませんよ。




最期のお話のあとは誕生のお話。

犬の起源はモンゴル? 米国チームがDNA調査で特定
 チームは、オオカミは石器を使う人間との間で獲物の争奪戦に敗れたか、気候変動などで獲物の数が減少したため、人間の残飯あさりをせざるを得なくなって犬へと変化したのではないかとみている。
モンゴルに生まれたあとイングランドに移動し、
そこからカナダのニューファンドランド島に渡り、
その後再びイングランドに行ったり、アメリカに行ったり、
そしてなんだかんだで長野市にたどり着いて、
2012年8月19日に上田市に連れてこられたのが
こいつです。





今は、平成の東京ぼん太と
呼ばれております。



人間だって犬だって
いろんな繋がりがあって生まれてくるわけで、
勝手に一人で生まれてきたわけじゃないんですなぁ。

死んでいくときはひとりで死んでいくんだ
って言う人もいますが、死ぬときだって
いろんなひとにお世話になるんだから、
とてもひとりじゃ死んでいけないんですよ。

東京ぼん太だって、その飼い主だってね。




昭和の東京ぼん太を知っているアナタ。
そろそろアナタは、
ぴんぴん生きてころりと死ぬ、佐久市のぴんころ地蔵
を参拝しとくお年頃ですヨ(^o^;



2 件のコメント:

ハーピオ さんのコメント...

アナタ!とは、
東京ぼん太を知っていて、我がコに唐草模様のリボン(首輪ね^^;)をつけてるワタシのこと?
と、しゃしゃり出ました、ハーピオです(笑)

最近は「あ~社長さんは専務がかわいくて仕方ないんだなぁ(^w^)」と、愛とユーモアに満ちた業務日誌、
拝見しておりました。黄色いアフロ、すばらしいです。
しかし確かに、今を謳歌しつつも、先々の不安は意識しますね。
このコ達より一日だけ、長く生きなきゃ!看取らなきゃ!って。
一方、ハーピオはおばさんで、夫がおりますので、最悪、夫に遺せるなら、
私はこのコ達に看取られたいな、死に水っつの?あれが鼻水でもいいから、
最期に、、、あ。やっぱ、鼻水はマズイか(笑)(笑)

また何の話やねん…になってしまいました(*^-^*)

ニコさまの写真、ぼん太唐草てぬぐいは、ちぎれてしまったのでしょうか。。
カラーバリエーション、楽しみにしてます(笑)

代表取締役 さんのコメント...

ハーピオさん おはようございます。

平成の東京ぼん太は、うちだけじゃなくお宅にもいるようですな(笑
うちの東京ぼん太はほっかむり外した途端、この唐草模様の手ぬぐいと
ケンカを始めましてね。あっという間にちょっと穴あいちゃいました。
彼には、ハンドタオルとか手ぬぐいの大きさの布類には
絶対に勝てる自信があるようです。
飼い主にとっては至極メイワクな自信であります(^o^;

夏に帯状疱疹を患ってからというもの、すっかり体力に自信がなくなりまして。
ここんとこ、この先のことを結構真剣に考えるようになってます。
看取るということが、飼い主の最大最後の役目ですからね。
その仕事をちゃんと全うできるように健康でいなきゃと思ってます。
決して黄色いカツラや唐草手ぬぐいを被せるのが仕事じゃないですからネっ。

死水が鼻水って・・・
最期に鼻水すすったら、口ん中ベトベトなまま死ぬことになりますよ。
って、心配するトコそこかーい!(笑